プリデスティネーション(2014・オーストラリア)

多分一年半くらい前に一度観たんですが、最近また放送されていたのでまた観ました(笑)

あまりそういう映画ってないんですけどね、二回以上観たいと思う作品って・・・


まあ考察とかは自分の役目じゃないので止めといて(笑)、荒っぽい感想だけですが。

過去や未来の自分と出会い、関わり、影響を与え合うという現象が、この作品では一人の人間がタイムスリップし続けるという形で実現されていますが、これは輪廻転生の比喩というか縮図というか、極端な形で表現したらこうなるということでしょう。

潜在意識とかでいう「相手も自分」って、前世の自分と同じ時代に転生することが可能であるとしたら、きれいに説明できるんですね・・・多分違うけど(笑)


誰も彼も、愛した人も憎んだ人も、傷つけた人も傷つけられた人も、もしかしたら前世か来世の自分かもしれない、ということです・・・

たとえ話として、もしかしたら目の前の愛するペットの犬は、三日前に自分の元を去った恋愛相手の生まれ変わりかもしれない。さらに自分のいつかの時点での前世は、もしかしたらこのペットの犬だったのかもしれない。ということは、自分の元を去った相手も、いつかの時点での「自分」だったという可能性がある・・・

時間軸に沿って転生する必要はないわけで、来世は1000年前の過去に生まれ変わるとかも可能で、また、自分が死なないと来世の自分を体験できないわけではなくて、同じ時代に来世の自分が生きていて、出会って友人になるかもしれない。

そういうことを考えると、皆が自分の生まれ変わりである可能性があるわけで、さらに言うと、全ての存在というのは、原初の存在が様々な座標(時代・性別等々の条件)で転生し続けて、世界を別々の視点から体験し続けている・・・そして自分も、ある時点で原初の存在が体験している「誰か」である、ということで、それが”we are all one”なのかなと・・・何を言ってるか分からないですかね(^-^;敢えて思いつくまま書いてみました(笑)


バーテンダー=ジョンに撃ち殺される前に、爆弾魔=ジョンが「俺を愛せ」と言いましたが、そういうことでしょうね。バーテンダー=ジョンが爆弾魔=ジョンを理解して存在を許さない限り、1975年3月の爆破事件は阻止できないわけです・・・1975年1月の時点で、二か月後に爆破事件を起こそうとしている(と推測される。よく考えたらこれも分からないわけですよね、もしかしたら事件は起こした後で、最後にあのクリーニング店にやってきたのかもしれない。とか考えるとややこしくなり過ぎるので止めときますが笑)爆弾魔=ジョンを殺しても、後にバーテンダー=ジョンが爆弾魔化してタイムスリップしてきて事件を起こすので、何の意味もないのです。

そこをバーテンダー=ジョンが悟るまで、爆破事件は「起きなかったこと」にはならないのでしょう。

自分が最も憎んだ相手が実は未来の自分だったという、まあやっぱり難しいですよね、私もそれは受け入れられない(笑)

でも多分それが真理なのでしょう・・・なんか鬱になりそう(^-^;


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